青森家庭裁判所野辺地出張所 昭和35年(家)54号 審判 1960年11月24日
申立人 田口恵子(仮名)
右法定代理人親権者父 早瀬正一(仮名)
主文
本件申立は、これを却下する。
理由
申立人は、申立人の氏「田口」を父の「早瀬」に変更することを許可して欲しいと申立て、その申立の実情として、申立人は、昭和二十八年四月十一日田日ミヤの女として生れたものであるが、昭和三十五年一月十五日、父早瀬正一より認知され、次いで同年三月十日父母の協議により申立人の親権者を父早瀬正一と定めた。そうして、申立人は出生以来父の膝下において、その養育監護を受けて居りながら、父と氏を異にすることは、何かと不便であるか、らこの度父の氏を称したく本申立に及んだ次第であるというのである。
そこで審案するに、申立人が、昭和二十八年四月○○日、田口ミヤの非嫡出子として生れ、昭和三十五年一月十五日、父早瀬正一より認知され、次いで同年三月十日、父母の協議により申立人の親権者を父正一と定めて、その旨の届出を済してある事実は、田口恵子の戸籍抄本の記載によつて明らかである。そうして、青森家庭裁判所昭和二十七年家(イ)第二四号離婚等請求調停事件及び当裁判所昭和二十八年家第五〇号ないし第五二号子の氏変更許可申立事件の各記録、早瀬正一の戸籍謄本、家庭裁判所調査官戸館長逸の調査報告書に、早瀬正一、早瀬スヱ及び田口ミヤを審問した結果等を綜合すれば、申立人の法定代理人早瀬正一は、昭和十年十月二十九日浜田スヱと婚姻届を済して夫婦となり、夫婦間に五人の子女(三男二女)を儲けたものであるが、その後同じ職場で働いて居た戦争未亡人の田口ミヤと親しくなり、遂に情交関係を結ぶようになつたことから妻スヱと不和になり、昭和二十年頃妻子を捨てて、田口ミヤと他に間借りして同棲生活を営み、同女との間に一男四女が生れたので、これらの子を認知して自ら養育しながら、妻スヱと同女の生んだ嫡出子三人(男児二人は幼くして死亡した)の生活を全く顧みないのみならず、却つて妻スヱを相手取り、昭和二十七年二月六日離婚請求の調停を青森家庭裁判所に申立てたが、妻スヱのため拒否され、同年六月六日右調停が不調に終つたものである。次いで早瀬正一は情婦田口ミヤの生んだ子良子、昌男及び和子を、同年十二月二十七日、認知すると同時に、父母の協議によりその親権者を父早瀬正一と定める旨の戸籍届出を済した後、昭和二十八年一月二十日、当裁判所に対し、右三児の氏を父早瀬正一の氏に変更することの許可を申立てたところ、当裁判所においては、単に書面上の審理をしたのみで、申立人等の父の妻スヱの意見を聴くとか、その他実質的な調査をすることなく許可したので、この許可に基き同年三月六日、父正一の戸籍に入籍する手続をした。その直後に、本件申立人が生れたので、一応生母田口ミヤの女として出生届をしておいたが、今度小学校に入学することになつたので、昭和三十五年一月十五日、先ず父早瀬正一より申立人を認知し、次いで同年三月十日父母の協議をもつて申立人の親権者を父正一と定める届出を済した上、本件申立をしたものであつて、しかも以上二回とも父正一の妻スヱと嫡出子の意思を無視したことから、同人等において本件申立に対し強く反対し不満の意を表明して居るものであること等の実情が認められるところである。
そこで以上認定したような実情のもとで、果して本件申立を相当なものとして許可すべきものかどうかについて、更によく考えてみるに、そもそも民法第七百九十一条は、親子が氏を異にする場合に、これを同じくするため、その子の氏(即ち戸籍)の変更をすることを要請する国民感情に順応したものであると解されているところである。そうして、戸籍法第九十八条によれば、民法第七百九十一条第一項又は第二項の規定によつて、父又は母の氏を称しようとする者は、入籍届をしなければならないのである。それ故、父又は母と養育共同生活をして居る子が、その親と同籍するため入籍する典型的な氏変更入籍の場合は、妥当な制度だと考えられるけれども、本件の如く妻以外の女子の出生した子を父が認知し、父及びその正妻と嫡出子との戸籍に入れるための、子の氏変更入籍については相当問題である。もつとも、戸籍の同一によつて、何等親族相続法上の実体的権利義務に変更が生ずるわけではないけれども、旧民法時代の家意識の未だ払拭されていない今日の国民感情では、父の認知した非嫡出子が同籍することにつき、嫡出子や正妻に強い不満を抱せるものがあるのみならず、両性の本質的平等をもつて解釈すべきことを宣言した新民法の精神にかんがみれば、本件申立の許否を決するにつき、父の妻と嫡出家庭の意向を十分斟酌するのが当然である。只単に父子或は母子関係の存否を審査するだけで当然許可せねばならないものであるとの考え方もあるが、もしそれが正しい解釈とすれば、単に入籍届出だけでよいとするか(旧民法第七百三十七条第七百三十八条、旧戸籍法第百三十七条第百三十八条参照)、或いは監督法務局の許可を得て入籍届を受理するというのでもよい筈である。しかるに、これを家庭裁判所の許可を要するものとした所以のものは、蓋しもつと実質的なもの、即ち関係人の利害感情を十分考量判断して、その許否が決せられるべきものであることを要求しているものと考える。なお夫婦は、婚姻する際に定めるところに従つて、夫又は妻の氏を称することになるけれども、一旦婚姻して定つた氏は、あくまでも夫婦の氏であつて、戸籍の筆頭に記載されてある夫又は妻だけの氏でなくなつたわけである。従つて同氏同籍となつた後において、氏を改め又は転籍若しくは分籍しようとする場合には、その筆頭者のみの届出では許されず、必ず筆頭者とその配偶者が共同して届出なければならないものと規定されているわけである。(戸籍法第百七条第一項第百八条第一項第百三十三条等参照)そうして、本件の申立本人は、本年四月漸く小学校に入学したばかりの幼い者であつて、その戸籍が父と同じでなければならないと考えつくほどの年令に達してなく、只その氏を早瀬と呼ばれれば満足する程度のものと考えられるところ、母田口ミヤの供述によれば、申立人は早瀬恵子として入学することを認められて既にその手続を済してあることが認められるから、申立人としては、一応希望が容れられたものであつて、現状のままでも左程の痛痒を感じないものといわねばならない。ところで、本件申立は、結局申立人の父母等の意思によるものであることも明らかであるから、申立人の父の妻や嫡出子の強い反対を押し切つて、今直ちにこれを許可することは相当でないものと考えられる。たとえ、既に葛藤を生じた夫婦の間柄であつても、殊更これを刺激助長して、その解決を益々困難ならしめるような結果を招く虞れのあることは、極力避けるのが相当である。なお申立人の父が、真に申立人等の幸福を希求するものならば、このような姑息な手段を弄して、徒らに妻の感情を刺激して夫婦間の問題の解決を益々困難ならしめるようなことをせず、むしろ素直に自らの非を認め、相当な犠牲を払う覚悟をもつて、妻とよく話合い、これを納得させて妻との離婚手続を済ませ、更めて申立人の母と正常な夫婦関係を結ぶよう心がけることこそ最も緊要なことであろうと考える。
以上の理由により、結局本申立を許可するのは相当でないものと認定し、主文のように審判する。
(家事審判官 坪谷雄平)